フランス映画「赤い風船」あらすじ ネタバレあり1950年代の花の都パリの雰囲気 

1956年に公開されたフランス映画「赤い風船」。

フランス・パリのメニルモンタンが舞台の、少年と赤い風船の心あたたまる友情のショートストーリーです。

主人公の可愛い男の子、パスカル少年は、アルベール・ラモリス監督の実の息子です。

ほとんどセリフがない短編映画にも関わらず、

  • 第29回(1956年)アカデミー賞で脚本賞を受賞
  • 第9回(1956年)カンヌ国際映画祭で短編パルム・ドールを受賞

と高く評価された作品です。

この映画のあらすじや、おすすめの理由、公開当時のパリについて、お伝えします。

「赤い風船」のあらすじ

パリに住むパスカル少年は、学校へ行く途中、街灯に赤い風船が引っかかっているのを見つけます。

少年は赤い風船を取り、それを学校へ持って行こうとしますが、風船を持ってバスに乗るのを運転手に断られてしまいます。

仕方がなく歩いて学校へ行き、授業を受けている間、警備員に風船を預けます、

学校が終わり、警備員から風船を受け取って家に帰ろうとしたら、雨が降っていました。

風船が濡れないよう、街の人々の傘に入れてもらいながら家に帰ったら、パスカル少年はびしょ濡れになってしまいました。

その様子を見た母親は、赤い風船を窓の外に放ってしまいます。

しかし赤い風船はまるで意志があるかのように、パスカル少年が住むアパルトマンの部屋の前に留まります。

翌日から赤い風船は、パスカル少年の後について一緒に登校します。

学校の先生や同級生たちによって、パスカル少年と赤い風船は何度も引き離されそうになりますが、堅い友情で結ばれた少年と風船は、お互いに協力して試練を乗り越えていきます。

しかしいつも赤い風船を連れたパスカル少年を、学校の同級生たちは不審に思い、追いかけます。

そしてとうとう、同級生の一人によって赤い風船は命を絶たれてしまい、最後には足で踏まれて破裂してしまいます。

落ち込むパスカル少年のもとに集まってきたのは、パリ中の色とりどりの風船たちでした。

たくさんの風船を持ってパスカル少年は、パリの空へと舞い上がりました。

ストーリーの全編はこちらからご覧いただけます。

 

1950年代のパリ 栄光の三十年真っ只中

この映画の魅力は、少年と赤い風船の可愛い交流もさることながら、1950年代のパリの雰囲気を楽しめることです。

パスカル少年が乗車を断られるオールドスタイルのバスが印象的でした。後部がオープンになっていて、そこから人が乗降しています。馬車も走っています。

そこには、かつて多くの日本人にとって憧れの象徴となった「花の都パリ」の姿があります。

子供だけで登下校したり、路地を走り回ったりすることから、治安の良さも感じられます。今のパリでは考えられないことかもしれません。

1950年代のフランスはどんな時代だったのか? ここで簡単に当時の歴史的な出来事を取り上げてみます。

1951年:ベルギー、フランス、西ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダの6か国間でパリ条約が締結。この条約によって、後のEU(欧州連合)の基盤の一つとなる欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が成立した。

1954年:8年にわたる第一次インドシナ戦争が終わる。フランスはジュネーヴ協定でベトナムの分割に同意し、フランス植民地帝国の解体が始まった。フランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争(アルジェリア戦争)が始まり、1962年まで続く。

1957年:フランス、ベルギー、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、西ドイツによって、欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EAEC)が設立される。これら2つの設立条約はローマ条約と呼ばれる。

1958年:シャルル・ド=ゴールがアルジェリア戦争を背景に第四共和政を事実上打倒する。

1959年:アルジェリア戦争を背景に第四共和政を事実上打倒したシャルル・ド・ゴールがフランス第五共和政の初代大統領に就任。第五共和政憲法では、四共和政に比べて立法権(国民議会)の権限が著しく低下し、大統領の執行権が強化されて、行政・官僚機構が強力になった。 

1950年代は、フランスの経済史における「栄光の三十年間」と呼ばれる期間(1945年〜1975年)までの真っ只中です。日本でいう高度経済成長からバブル時代のようなイメージでしょうか。

この栄光の30年間でフランスのライフスタイルは大きく変化し、地方から都会のパリへと移住する人々が増えました。

パリだけでは増え続ける移住者たちを支えきれないことから、パリの人口抑制政策として、パリ周辺の中核都市でも人口増加がもたらされました。

「赤い風船」の感想と考察

私がこの映画を初めて見たのは20年前、大学生の頃です。

当時はYouTubeもなく、DVDもまだ日本では発売されていませんでした。(DVDが発売されたのは2008年12月12日だそうです)

ではなぜ20年前に日本で観ることができたのかというと、私の通っていた大学が美大の映像学科だったため、大学の映像資料室で見かけて気になってその場で鑑賞してみました。しかもレーザーディスクで!

気になった理由は、ジャケットのオシャレで可愛らしい雰囲気です。

当時はこの作品を半分アニメ作品のように感じており、アカデミー賞を受賞した作品とも知らず、なんとなく観たことを記憶しています。

人生に迷っていた当時、なんとなく観た映画ですが、今見てみると、1950年代に風船を自在に動かす映像技術はすごいと感じます。

「赤い風船」を初めて見た時から15年ほど経って、私は何度かフランス・パリを旅しました。

今思うと、私のフランスへの憧れが高まったのは、この「赤い風船」の影響も大きいかったのかもしれないと思います。

セリフがほとんどない分、若い感性の潜在意識に深く刻まれた映像でした。

しかし実際に私の訪れたパリは相次ぐデモやアフリカからの移民の増加、テロなどで、「赤い風船」の世界観とはまるで違っていました。

赤い風船の映画に登場するのは白人ばかりですが、現在のパリはアフリカ系の黒人やアジア人も多く、多民族国家になっています。

パスカル少年のような小さな子供が、とても一人で歩いて登校できるような街ではありません。

常にスリに警戒しなければならず、街ゆく人の服装もモノトーンが多いです。

(パリをカラフルな服で歩くとスリに目をつけられるので、派手な格好をして歩く勇気はありません)

花の都と呼ばれたパリの栄光の三十年をイメージして訪れると、ギャップにショックを受けるかもしれません。

それでも私は、フランスの歴史の深みや受け継がれてきた伝統、女性の自立した強さ、生活を楽しむ知恵などが好きです。

ちなみに日本で有名になった「風船おじさん」こと鈴木嘉和氏は、この「赤い風船」に影響されたそうです。

パスカル少年がたくさんの風船を持って空を旅するラストシーンはとても絵になります。

しかしまさか日本のおじさんが真似して本当に空へ飛び立つとは、アルベール・ラモリス監督は予想もしていなかったでしょうね。

1953年に公開されたアルベール・ラモリス監督の作品「白い馬」もこちらからご覧いただけます。

 

Ayacoライター
アラフォー独身おひとり様女。10代の時、世界文学を読み漁るうちに、日本の学校教育で教わる生き方との矛盾を感じる。進路に悩み、高校の普通科を1年で中退。 通信制高校に編入し、同時に大検(現在の高卒認定資格)を取得して美大へ入学。在学中にフリーランスのグラフィックデザイナーとして起業。その後、Web制作会社でディレクターとして勤務後、大手広告会社のライターを経て2度目の起業。 30代半ばに、美大へ進学するきっかけとなった、印象派時代のフランスの画家達が過ごした聖地を旅する。 地方在住のアラフォーになり、コロナ禍をきっかけに、学生時代からの夢であった、知的探究心の向くままに世界の文学に触れる日々を過ごしている。 オフィシャルサイトはこちら
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アラフォー独身おひとり様女。10代の時、世界文学を読み漁るうちに、日本の学校教育で教わる生き方との矛盾を感じる。進路に悩み、高校の普通科を1年で中退。 通信制高校に編入し、同時に大検(現在の高卒認定資格)を取得して美大へ入学。在学中にフリーランスのグラフィックデザイナーとして起業。その後、Web制作会社でディレクターとして勤務後、大手広告会社のライターを経て2度目の起業。 30代半ばに、美大へ進学するきっかけとなった、印象派時代のフランスの画家達が過ごした聖地を旅する。 地方在住のアラフォーになり、コロナ禍をきっかけに、学生時代からの夢であった、知的探究心の向くままに世界の文学に触れる日々を過ごしている。 オフィシャルサイトはこちら