今日はフランスで1759年に刊行された、フランスの哲学者で文学者、啓蒙思想家であるヴォルテールによる「カンディード」をご紹介します。
この小説は、18世紀前半に一世を風靡した考え方「最善説」に対抗する趣旨で発表されています。
最善説とは「起きていることにすべて必然的な理由があり、すべてが最善である」考え方です。
著者ヴォルテール自身も当初は最善説を支持していました。
しかし多くの死者を出した1755年11月1日のリスボン大地震によって、ヴォルテールは最善説に疑念を抱くようになり、本当に「すべては善なり」と言えるのか、と問いただします。
その疑念がきっかけとなり、この小説「カンディード」が生まれました。
目次
著者ヴォルテールのプロフィール
1694年、裕福な役人の息子としてパリに生まれる。モンテスキュー、ルソー、ディドロと同じフランスの啓蒙主義時代を生きる。
その中でもヴォルテールは、当時の人々に大きな影響力をもっていたキリスト教・カトリックの教権主義に対して人間の精神の自由を説き、啓蒙主義を先導する中心的な思想家となった。
思想・信教・表現の自由や寛容を唱える知識人として、ヴォルテールの影響力はヨーロッパ全域に及んだ
「カンディード」のあらすじ
美しい城の中で成長した若者カンディードは、男爵の娘クネゴンデ姫と恋に落ちます。
二人の関係は男爵に知られることとなり、カンディードは城を追い出されてしまいました。
その後、ブルガリア人の国で軍隊に入り、尻叩きの刑に遭います。
城でカンディードの家庭教師をしていたバングロス博士と再会し、二人を助けてくれた善人ジャックと船旅へ出ますが、ジャックは悪徳の水夫によって見殺しにされてしまいます。
行き着いたリスボンでは大きな地震があり、地震を鎮めるために火あぶりの刑が行われ、バングロス博士はそこで絞首刑になってしまいます。
老婆に助けられたカンディードは、亡くなったと思っていた愛するクネゴンデ姫と再会。
しかし二人はその後、再び離れ離れになってしまいます。
カンディードは従僕とともにたどり着いた楽園エルドラドで巨万の富を得たのちに、クネゴンデ姫との再会を夢見てフランスへと向かいます。
しかし最終的に再会したクネゴンデ姫は醜くなっていました。
思い描いていた未来とは違ったものの、カンディードは再会した仲間たちと新しい生活を始めます。
解説と感想
どんなに辛いことがあっても、起きていることすべてには原因があり、すべて最善で完全なのか?神様は本当に存在するのか?
そんな問いを投げかけたくなった時に、答えを出してくれるこの小説は、リスボン大地震をきっかけに作られました。
日本ではよく「悪いことをすればバチが当たる」と言われます。
日頃から良い行いをしていれば、神様は見ていてくれるとも。
しかしリスボン大震災で、生まれたばかりの赤ん坊やその母親が血まみれになり、苦しみながら死んでいく姿を見ると、その赤ん坊が何の罪を犯したのか、神様は本当にいるのか、疑いたくなるでしょう。それでも「起きていることはすべて最善だ」と言えるのかと。
終わりのないこの問いに対して、物語の最後に出てくるトルコ人の老人が答えを出しています。
働くことは、私たちを三つの大きな不幸から遠ざけてくれます。三つの不幸とは、退屈と堕落と貧乏です。
そしてカンディードと二人の哲学者、パングロス博士とマルチンは結論づけました。
僕に分かっていることは、人は自分の畑を耕さねばならない、ということ。(カンディード)
人間がエデンの園においてもらったのは、聖書にもあるとおり、そこを耕すため、つまり、労働をするためなのです。聖書が証明しているように、人間は休息をするために生まれてきたわけではありません。(パングロス)
「議論とかするひまがあったら働きましょう。それのみが人生を我慢できるものにする唯一の方法なのです。(マルチン)
特にパングロスの言葉は、ヴィクトール・フランクルの「それでも人生にイエスという」に出てきた「生きることはいつでも課せられた仕事で、義務である」に通ずるものがあります。
私たちは人生で起きていることに意味づけをしようとするから、苦悩するのかもしれません。
起きていることの全ては最善で正しいのか、そうでないのか。
その議論をしている暇があれば、自分の畑を耕すことに専念した方が、人生の苦悩を減らすことができる。
そのように私は解釈しました。
小説「カンディード」は、ヴォルテールの書いた1755年11月1日に発生したリスボン大地震に寄せる詩とともに読むことができます。
リスボン大地震に寄せる詩が巻末にあることで、物語の意図をより解釈しやすくなると思います。
フランスの啓蒙主義における代表的な思想家の代表作として、ぜひ読んでみてください。