ドイツの小説家ヘルマン・ヘッセの「デミアン」をご紹介します。
日本では「車輪の下」が有名なヘルマン・ヘッセですが、第一次世界大戦中に執筆した「デミアン」以降、ヘッセの作風は大きく変化します。
デミアン以前の「車輪の下」などの作品では純粋で叙情的な哀感が特徴で、その作風でヘッセのファンになった人も多いと思われます。
ヘッセ自身、デミアンの執筆にいたるまでは「世界とよい平和の中に生きてきた」と言っているそうです。
第一次世界大戦は彼に衝撃を与えました。以来、ヘッセの心は内を向きはじめ、自我の探求に没頭したそうです。
一人の思春期の少年を通じて、内なる自我を探究するこの小説は、ベストセラー作家であったヘッセが自分の殻を破り、生まれ変わるきっかけとなった問題作と言えるでしょう。
目次
著者プロフィール
ヘルマン・ヘッセ
1877年南ドイツ・シュワルツワルトの山間の町カルプに生まれる。マウルブロンの神学校を中途退学し、機械工、本屋などを転々としながら独学で執筆を続け、27歳の時に書いた作品「郷愁」で、世の中に名を知られるようになる。
それからまもなくして9歳年上の女性と結婚し、3人の子供をもうける。
1919年「デミアン」の執筆以降、作風が一変。第一次世界大戦などの影響でヘッセは強い精神的危機を経験する。
世界大戦時に平和を唱えていたヘッセの作品は、ナチス政権から好ましくないとされてドイツ国内での割り当てを禁止され、苦境に立たされる。1924年、スイス国籍を取得して在住。1946年ノーベル文学賞受賞。
「デミアン」のあらすじ
ラテン語学校に通う10歳の少年シンクレールは、不良少年クローマーに脅されてしまい、不幸な事件を招いてしまう。
クローマーに怯える日々を過ごしていたシンクレールは、年上の少年デミアンに助けられる。
デミアンはシンクレールにカインとアベルの逸話について語り、物事には明暗二つの世界が存在することを伝える。
その後に出会った音楽家のピストーリウスやデミアンの母に導かれ、シンクレールは本当の自分を探究し始める。
「カインとアベルの逸話」について
本文中に出てくるカインとアベルは、旧約聖書「創世記」第4章に登場する、アダムとイヴがエデンの園を追われた後に生まれた兄弟です。
カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになりました。
ある日、カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を、万物の創造者で唯一神のヤハウェに捧げます。
ヤハウェはアベルの捧げた羊の子には目を留めましたが、カインの捧げた収穫物には目を留めませんでした。このことをカインは恨み、アベルを野原に誘って殺害します。
ヤハウェはカインにアベルの行方を問いますが、カインは「知りません。私は弟の番人なのですか?」と答えます。これは人間が初めてついた嘘とされています。
しかし、大地に流れたアベルの血がヤハウェに自らの死を訴えたことで、カインはエデンの東にあるノドの地に追放されます。
ヤハウェは、今後カインが耕作を行っても作物は収穫できなくなることを伝えました。
ノドの地の者たちに殺されることを恐れたカインに対して、カインを殺すものには7倍の復讐があるとヤハウェは伝え、カインには誰にも殺されないための「カインの刻印」をしたとされています。
「カインとアベルの逸話」についてマックス・デミアンの解釈
旧約聖書によると、兄弟のアベルを殺したカインは、恐れられるべき存在としてヤハウェから額にしるしを刻印されました。(そう私は解釈しています)
しかしマックス・デミアンは、この神話に別の解釈をしました。
人々はカインとそ子供たちに恐れを抱いていました。
そこで彼らがしるしを持っていることにして、「このしるしを持っている連中は無気味だ」と吹聴したのです。
カインが兄弟を殺したからヤハウェがカインの額に刻印をしたのではなく、カインは恐れられるべき存在であったから、兄弟を殺した話を後づけされ、カインの額の印は表彰であるとのことです。
これに対して主人公のシンクレールは、
「カインが気高い人間でアベルが臆病者だなんて! カインのしるしが表彰だなんて!」と、それは不合理であると感じます。
作品中に出てくる名言
主人公のシンクレールは、マックス・デミアン、オルガン奏者のピストーリウス、そしてデミアンの母であるエヴァ夫人み導かれ、内的な自己を探究していきます。
ここでは3人のメンターによる名言を取り上げさせていただきます。
マックス・デミアン
「自分にとって意味と価値のあること、自分に必要なこと、絶対に手に入れねばならないことを、求めるだけだ。そういう場合にこそ、信じられないようなこともうまくいくのだ」
「実行したり、十分に強く欲したりすることのできるのは、その願いが完全にぼく自身のうちにある場合、実際にぼくというものが完全にその願いに満たされている場合に限るのだ。そういう場合になってきて、きみが自分の内から命令されることを試みる段取りになれば、きみは自分の意志をよい馬のように 駆使 することができる」
オルガン奏者 ピストーリウス
「きみが生まれつきコウモリに造られているとしたら、ダチョウになろうなどと思ってはいない」
「きみはときどき自分をふうがわりだと考え、たいていの人たちと 違った道を歩んでいる自分を非難する。そんなことは忘れなければいけない」
「火を見つめたまえ、雲を見つめたまえ。予感がやって来て、きみの 魂 の中の声が語り始めたら、それにまかせきるがいい。それが先生やおとうさんや、いずれかの神の心にかなうか、お気に召すかなんてことは問わないことだ。そんなことをしても、自分を毒するだけだ」
「われわれの見る事物は、われわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独得の世界をぜんぜん発言させないから、きわめて非現実的に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。シンクレール、大多数の人々の道はらくで、ぼくたちの道は苦しい。──しかしぼくたちは進もう」
デミアンの母エヴァ夫人
「人は自分の夢を見いださねばなりません。そうすれば道は容易になります。でも、たえず続く夢というものはありません。どんな夢でも新しい夢に代わられます。どんな夢でも 固執しようとしてはなりません」
「その夢があなたの運命であるあいだは、あなたは夢に忠実であらねばなりません」
「あなたの運命はあなたを愛しています。あなたがたえず忠実であれば、夢に見るような運命が、いつかは完全にあなたのものになるでしょう」
「愛は願ってはなりません。要求してもなりません。愛は自分の中で確信に達する力を持たねばなりません。そうなれば、愛はもはや引っ張られず、引きつけます」
感想
主人公のシンクレール少年は、物語の中に登場するデミアンの母エヴァ夫人を深く愛し、畏敬の念を抱きます。
ヘッセ自身も最初の結婚では9歳年上の女性と結婚していることから、このエヴァ夫人にはヘッセが求める「大いなる母」像が浮かび上がってきます。
ヘッセの人生や当時の世界情勢、歴史的背景、宗教に関する理解を深めた上で読み返してみると、さらに深い気づきがあるでしょう。
シンプルなストーリーの中にいくつもの問いがあり、いかようにも解釈ができます。
人生に迷った時、孤独を感じたタイミングで、読み返したい作品だと思いました。