1869年に刊行されたフランスの写実主義作家フローベールによる「感情教育」は、二月革命からルイ・ナポレオンのクーデター事件までのパリを舞台とした小説です。
当時のパリで起こった出来事がリアルに再現されており、歴史小説として価値の高い作品です。
フローベールといえば1857年に刊行されてベストセラーとなった「ボヴァリー夫人」が有名ですが、個人的には後年に刊行されたこの「感情教育」の方が読みごたえがあると感じました。歴史が好きな人は必読の一冊です。
目次
「感情教育」の著者フローベールのプロフィール
ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flauber)1821年12月12日 – 1880年5月8日
フランス・ルーアンで外科医の息子として生まれる。父はルーアン市立病院の院長であった。9歳の頃よりヴィクトール・ユゴーやシェイクスピア、ヴォルテールなどの作家の作品を読みふけり、作家になることを夢見て物語を書くことに熱中していた。
バカロレアに合格したフローベールは1841年、パリ大学へ入学。父に勧められて法律を専攻するものの自分には合わないと感じて苦しんだ。次第に合わない勉強へのストレスから眩暈の発作を起こすようになる。
父はルーアン近郊のクロワッセにフローベールが落ち着ける環境を用意し、そこで「感情教育」の初稿を書き上げる。
1846年、父が病気で急死。父の遺産や年金に頼りながら母、姪と暮らす中で、11歳年上の女性詩人ルイーズ・コレと恋仲になる。
1851年、ボヴァリー夫人の執筆を開始。4年半にわたる苦闘の末に完成し、ベストセラーとなる。
1869年、自らの青春時代をもチーフにした「感情教育」刊行するものの、批評家たちからは不評を買う。サンドやゾラからの評価を得たに過ぎず、フローベールはひどく気落ちした。
しかしながらフローベールはのちのヌーヴォー・ロマンなどによって、カフカやプルーストに続く現代文学の先駆者として位置づけられるようになり、「感情教育」も後に評価されるようになった。精緻な客観描写によるフローベールの手法はその後、エミール・ゾラやモーパッサンに引き継がれ、写実主義から自然主義への流れを作った。
フローベール「感情教育」の登場人物
・フレデリック・モロー
18歳になる長髪の青年。バカロレアに合格し、母と住むノジャンの家からパリへ出てきた。
・ジャック・アルヌー
髪の縮れた見るからに元気そうな男。共和政の支持者で各地を旅行したことがあり、劇場、レストラン、新聞社の内情に通じており、著名な芸術家のことごとくと知り合いで彼らを気やすくファーストネームで呼んだりもする。商売に関してはずるがしこさに長けている。
・アルヌー夫人
フレデリックが想いを寄せている、卵形の顔をして黒い髪を真ん中で分けた、小麦色のつややかな肌をした、ひかえめで美しく信心深い女性。ジャック・アルヌーの妻。マリと呼ばれている。
・シャルル・デローリエ
フレデリックの三歳上の親友。父親は歩兵部隊の大尉をしていたが、除隊後は家族で不遇な暮らしをしていた。父親から殴られて育つ。哲学の勉強に没頭し、たちまち長足の進歩を遂げ、弁護士になった。
・ユソネ
ブロンドの口ひげの青年。フレデリックと同じ法学部の学生。ファッション関係の新聞の仕事をしており、ジャック・アルヌーの店「工業美術」の広告も作っている。ある朝、大学へむかう途中で騒乱にまきこまれ、それをきっかけに新聞の仕事にたずさわる。
・バチスト・マルチノン
フレデリックのかつての級友の一人。美男子を絵に描いたような男。背は高くふくよかな頬の整った顔立ちで、目は少しも落ちくぼんでおらず、青みがかった瞳をしている。父親は豪農で、ゆくゆくは息子を司法官にするつもりで司法官となった。ダンブルーズ氏の娘セシル嬢と結婚する。
・ド・シジー
フレデリックの大学の知り合い。名門の子弟で、まるで娘のような物腰のやさしい男。デッサンに熱中しており、ゴシック美術を好んでいる。気品のある外観の裏にしごく貧弱な知性を隠している無邪気な愚か者。ロザネットに好意を持つ。
・セネカル
数学の復習教師をしている反骨精神にあふれた共和主義者。髪を短く刈っているせいで広い額が一層目立つ。灰色の目はどこか冷酷無情な光をやどしている。アルヌーの陶器工場で技師として働くものの、アルヌーともめてクビになる。政治犯として収賄されたのちに警官となる。
・デュサルディエ
クレリ通りにあるレース服飾店ヴァランサール兄弟商会に勤めている青年。私生児として生まれた。麻くずのかたまりのようなもじゃもじゃの髪をしている。12月の騒動中、サン・ジャック通りで警官を襲った。1851年、警官となったセネカルに剣を突かれて亡くなる。
・ルジャンバール
186cmの背丈があり、いくぶんたるんだ瞼に白髪まじりの頭の堂々たる恰幅をした男。アルヌーが懇意にしている情報通。あだ名は市民・公民を表すシトワイヤン。会計事務所を経営しているような口ぶりではあるが、なにを生業としているのか、友人たちでだれひとり知る者はいなかった。毎日の大半の時間をカフェで酒を飲んで過ごす。
・マダム・ロザネット
フレデリックがアルヌーと参加したダンスパーティーを開催していた家の女主人で高級娼婦の金髪娘。フレデリックと恋愛関係になる。通称マレシャル。両親はクロワ・ルスの絹織物工で、自分も見習いとして父親の仕事を手伝っていた。不遇な幼少期を送り、十五歳で母親から売られる。
・ダンブルーズ
アンジュー通りに住んでいる銀行家の金持ち。ほっそりした体つきをしており、薄くなった白髪と弱々しい手足、異様なほど青白い顔色が健康の衰えを物語っている。
・ダンブルーズ夫人
ダンブールズの若い妻。のちにフレデリックと愛人関係になる。
・ペルラン
五十歳にもなっていまだに下絵程度のものしか手がけていない画家。フレデリックの仲介でロザネットの絵を描き、フレデリックに高額な請求を行う。
・モロー夫人
フレデリックの母親。今では家系が途絶えてしまったものの貴族の旧家の出身。
・ロックのおやじ
フレデリックの実家近く、ノジャンに住む男。女中を妾にして暮らしており、選挙管理人で銀行家ダンブールズ氏の資産管理人でもあるにもかかわらず、地元での人望はうすかった。
・マドモワゼル・ヴァトナーズ
女流作家ですらりとした三十がらみの女性。容色は衰えかけているものの、笑うと厚めの唇のあいだからみごとな歯並びがのぞいた。もともと田舎で教師をしていたが、今は家庭教師をする傍ら、マイナーな新聞に寄稿して身を立てようとしている。デュサルディエに恋心を抱く。
・エリザベート・オランプ・ルイーズ・ロック(ルイーズ)
ロックがパリから連れてきたブロンド美人(エレオノール夫人)との間に生まれた娘。フレデリックと婚約するものの、デローリエと結婚し、その後、歌手と駆け落ちする。
・ウドリー
アルヌーの別荘の隣に住む金持ちの老人。ロザネットを囲っている愛人。
・デルマール
かつてアルハンブラで歌手をしていた俳優。ロザネットの恋人。フレデリックと同様、憲法制定国民議会の選挙に立候補する。
・セシル
ダンブルーズ氏の隠し子で表向きは姪ということになっていた。マルチノンと結婚する。
・マルト嬢
アルヌー夫妻の娘
・ウジェーヌぼうや
アルヌー夫妻の息子
・サミュエル・ロンドロ教授
19世紀法学界の大御所の一人で、ザカリエやルードルフのライバルと目されていた。貴族院議員の顕職に就いたとはいえ、その態度や言動にはいささかの変化も見られず、清貧に安んじていて、誰からも深い尊敬の念を寄せられている。
・クレマンス・ダヴィウ嬢
軍需品に金の刺繍を入れる仕事をしている娘。めっぽう大人しく、藁のようにほっそりしており、大きな青い目をいつもびっくりしたように見ひらいている。デローリエと恋仲になる。
・カトリーヌ
ロックと同い年で顔中にあばたのある、ロレーヌ出身の女。ロックが五十歳まで自身の身の回りの世話を任せていた。
・デルフィーヌ
ロザネットの美容師
・ピエール・ホール・マンシユス
大作絵画の最後の代表者で、八十歳にてかくしゃくとして、その名声のみならず、太鼓腹をいまもなお保持している。アルヌー家の夕食会に参加していた。
・ロザンヴァルド
アルヌー家の夕食会に招待されていた作曲家
・バルテルミー
フレデリックの伯父で気むずかしいところのある老人。フレデリックに莫大な遺産をのこして亡くなる。
・エレオノール夫人
ロックの愛人でルイーズの母親。羊のような顔をしていかにもお高くまとったブロンド美人
・コンパン
セネカルが議長を務める知識人クラブで爆笑を引き起こした男。
フローベール「感情教育」のあらすじ
第一部
・田舎からパリへ出てきた純朴で野心的な青年が運命の恋に落ちる
1840年、パリのサン・ベルナール河岸で、大学入学試験(バカロレア)に合格したばかりの18歳になる青年フレデリック・モローは、四十がらみの見るからに元気そうな工芸美術商のアルヌーとその夫人に出会う。フレデリックはアルヌー夫人の美しさの虜になり、ひとめぼれの恋をする。
フレデリックは旧友のデローリエと二年ぶりにパリで再会し、パリで一緒に暮らしてブルジョワ階級に取り入って社交界で成功する野望を語り合う。
二ヶ月後、フレデリックは隣人ロックおやじの紹介で大金持ちの銀行家ダンブルーズ氏に書類を届ける。そこで年若いダンブールズ夫人を遠目に目撃する。
生まれ育ったノジャンからパリへ住居を移したフレデリックはサン・ベルナール河岸で出会ったアルヌー夫人のことが忘れられず、たびたびアルヌー夫妻が営む「工芸美術」を訪れる。
・暴動がきっかけで二人の友人ができる
1841年12月のある日、サン・ジャック通りに人だかりができていて暴動が起きていた。その暴動のなかで手にしていた大きな紙挟みを放り出して警官に向かって突進した青年がいた。警官たちに殴られ、留置されたその青年デュサルディエをフレデリックと、たまたま近くにいた同じ学部の学生ユソネは助けに行った。
その後、フレデリックはユソネがジャック・アルヌーの店「工芸美術」の広告も作っていることを知る。以来、二人は交流を深めていった。ある日、フレデリックはユソネを通じてアルヌーと再会する。それをきっかけにいつの間にかフレデリックは「工芸美術」に足しげく通う常連になった。
ある日、フレデリックはアルヌー家での夕食会に招待された。久々にアルヌー夫人と再会したフレデリックは、彼女への情熱が再び燃え上がる。それからもフレデリックはアルヌー夫人に会うため、たびたびアルヌー家の夕食会へ足を込んだ。
・実家に戻って困窮生活を送るものの予期せぬ遺産が舞い込み、再びパリへ
郷里に帰った翌日、フレデリックは母親からロック氏への借金返済のためのこされた財産が少なく、受け取る予定の遺産が思ったよりだいぶ少ないことを聞かされる。ショックを受けたフレデリックは生垣越しにぼんやりと、ロックの娘で十二歳ぐらいのルイーズが遊んでいるのを眺めていた。フレデリックは実家で母と暮らし始める。フレデリックは次第にルイーズと仲良くなった。
1945年11月、フレデリックは伯父のバルテルミーが亡くなったとの知らせを受ける。二万七千リーブルの遺産が入ってくることが決まり、フレデリックは狂おしいほど喜んだ。フレデリックはルイーズに別れを告げ、パリへと発った。
第二部
・アルヌーの愛人ロザネットとアルヌー夫人との間を行き交う日々
久々にパリへ到着したものの、アルヌーの「工芸美術」はなくなっていた。フレデリックは苦労して探しまわり、ようやくアルヌー夫妻の住む家を見つける。アルヌーは稼業を変えて陶器商になっていた。アルヌー夫人と再会したフレデリックは、以前のような胸のときめきを覚えないのがふしぎだった。
フレデリックは旧友のデローリエとも再会する。デローリエは試験に失敗し、厳しい生活を強いられていた。フレデリックは一人になるとパリの社交界のために上等な服を揃えた。
三日後、フレデリックはアルヌーに誘われてアルヌーの愛人の一人ロザネットの家で開催されるダンスパーティーへ参加する。
その後、フレデリックはある社交界なるものをついに身をもって知ろうと思い立ち、ダンブルーズ家を訪問する。その後フレデリックは再びロザネットの家を訪問し、近々彼女を恋人にできることを確信する。
さらにその後、フレデリックはアルヌー夫人のもとへ。フレデリックはロザネットとアルヌー夫人の二人の女性とつき合うようになっていた。
アルヌーは愛人ロザネットにカシミヤのショールを贈ったことが妻のアルヌー夫人にバレて喧嘩になる。その現場を目撃したフレデリックは夫人をなぐさめながらも、心の憶測ではこのチャンスに喜んでいた。
・ロザネットから馬鹿にされ、友人シジーに裏切られ、踏んだり蹴ったり
以来、フレデリックはアルヌーの家で居候も同然の身となる。夫婦仲の悪化したアルヌーは大きな災難にみまわれて精神のバランスを崩してしまう。監査役の一人として関係していたある陶土会社の損害賠償を保障せざるをえなくなり、およそ三万フランの損失をこうむることになった。フレデリックは急遽アルヌーに一万五千フランを貸す。アルヌーはフレデリックに金を返さなかった。同時期フレデリックは、シジーからしつこく頼まれてロザネットを彼に紹介する。
その後、フレデリックはクレイユにあるアルヌーの陶土工場でアルヌー夫人と二人きりになった時、アルヌー夫人に恋する気持ちを告白する。フレデリックはアルヌー夫人に軽くたしなめられた。
数日後、フレデリックはロザネットに誘われて二人で競馬へ行っているところ、アルヌー夫人とはち合わせてしまう。フレデリックはとらえどころのない悲哀が胸にこみあげ、いっそ死んでしまいたいと思ってしまった。さらにロザネットはその後のカフェ・アングレでの食事の席でシジーと立ち去ってしまう。シジーは実はその日、ロザネットの家に行く賭けをしていた。
ロザネットとシジー、そして夕食の席に押しかけてきて大量に食べたユソネの食事代、辻馬車代などを全て支払ったフレデリックは、ロザネットにバカにされた怒りと屈辱に打ちひしがれた。
この一件でフレデリックはロザネットとは二度と会うまいと決意するものの、画家のペルランからロザネットを描いた肖像画の高額な代金を請求されてしまう。
その週のうちにフレデリックのもとに、ル・アーヴルの公証人から農地を売却した十万四千フランが送られてきた。フレデリックはその金の半分を国債につぎこみ、半分は相場をはるつもりで仲買人のもとへ持っていった。
・シジーと決闘、その後、友人の発行する新聞で侮辱されるフレデリック
その後の食事の席でフレデリックはアルヌー夫人を侮辱された怒りからシジーに皿を投げつける喧嘩になり、シジーはフレデリックに決闘を申し込む。決闘は当日かけつけたアルヌーが仲介したことで中止になった。
フレデリックが借金の申し込みを断ったユソネが新しく始めた新聞「フランバール」では決闘のことが取り上げられ、フレデリックはその記事で侮辱されていた。熱心な共和主義者であるセネカルは政治犯の嫌疑で逮捕される。
・銀行家ダンブルーズ氏の夫人を女性として意識し始める
その後に参加したダンブルーズ家での夜会でフレデリックは、アルヌー夫妻と懇意にしていることをダンブルーズ氏からたしなめられる。逮捕されたセネカルを庇ったことでフレデリックは他の参加者たちと口論になり、気まずい空気の中で帰路につくが、ダンブルーズ夫人のことを女性として意識するようになる。
フレデリックはその晩に会ったデュサルディエの提案でデローリエに会いに行く。フレデリックはデローリエに、アルヌーから返してもらえていない一万五千フランのことも打ち明け、二人は以前のように仲良くなった。
・故郷の隣人ロックの娘ルイーズと婚約
フレデリックが持っていた北仏鉄道株が下落し、一挙に六万フランの損をしたことで、フレデリックの収入が目に見えて減ってしまった。これをきっかけにフレデリックは実家の隣人で莫大な財産をもつロックおやじの娘ルイーズとの結婚話に興味を持ち始める。ルイーズ嬢はすっかり一人前の女に成長していた。
デローリエはフレデリックがアルヌーから返してもらっていない一万五千フランを取り戻すため、アルヌー夫人を訪問する。その場でフレデリックがまもなくダンブルーズ氏の資産管理人であるロックの娘ルイーズと結婚することをアルヌー夫人に伝える。アルヌー夫人はその衝撃から息苦しくなり、胸に手を当てた。そこでアルヌー夫人はフレデリックに恋をしていることを自覚する。
同時期、フレデリックの婚約者となったルイーズはノジャンに戻ってきたフレデリックとの再会の悦びにどっぷりと浸っていた。
・再びパリへ。アルヌー夫人と別れ、ロザネットと暮らし始める
しかしフレデリックはパリから届いた、特にデローリエからの手紙が気になり、すぐに戻ってくるつもりでパリへ出発した。
パリに着いたフレデリックは訪ねてきたマドモワゼル・ヴァとナーズに頼まれてロザネットに会いに行く。しかし気まずい空気の中、フレデリックはロザネットに別れを告げて彼女の家を後にする。その後、路地でアルヌー夫人とばったり顔をあわせてしまい、簡単な挨拶をしてお互いに立ち去る。
フレデリックはデローリエから、彼がアルヌー夫人にフレデリックの結婚を告げたことを知らされ、驚愕する。またデローリエはセネカルが釈放されたことを伝えて、フレデリックを釈放を祝う会に招待する。会にはデローリエとセネカルの他に、デュサルディエ、ユソネも参加した。
その後、フレデリックはアルヌーの店を訪ね、そこに居合わせたアルヌー夫人に真情を打ち明ける。以来、フレデリックはいくたびもアルヌー夫人を訪ねた。ふたりはひたすら愛しあう生活を思い描いた。
しかしアルヌー夫人は息子のウィジェーヌが病に倒れたことを神の警告と捉え、フレデリックとの関係を断つことを決意し、フレデリックとの約束の場に姿を現さなかった。フレデリックはアルヌー夫人への未練を断ち切り、気ばらしにロザネットを訪ねたところ、キャピュシーヌ大通りで一斉射撃がはじまった。市民が殺されていることにもフレデリックは無関心のまま、アルヌー夫人のために借りた家にロザネットを連れて帰った。
第三部
・二月革命が勃発、フレデリックは憲法制定国民議会の選挙に立候補する
とつぜんの銃声で目覚めたフレデリックはロザネットが引き留めるのを振り払い、現場を見に行った。暴動のさなかでフレデリックは前体制の支持者であるダンブルーズ氏に促され、憲法制定国民議会の選挙に立候補する。同じ選挙に立候補することになっていたデルマール(ロザネットの愛人)は、フレデリックをあちこちのクラブに案内してまわった。
フレデリックはデュサルディエの紹介で、デルマールとともにサン・ジャック通りの「知識人クラブ」というところに行く。その議長席にセネカルが現れた。つめかけた聴衆はセネカルに深い敬意をはらっているように見える。セネカルはフレデリックの立候補に異議を唱えた。群衆に野次を飛ばされ、フレデリックは憤慨してその場をあとにする。傷ついた自尊心を癒そうとロザネットのところへ行くものの、共和政を支持するフレデリックと政治信条の合わなくなったロザネットに冷たくあしらわれる。
ロザネットの生活は苦しくなっており、ドルーオ通りの立派なアパルトマンからポワソニエール大通りに面した五階の部屋に引っ越した。その部屋を整えるのに援助を惜しまなかったフレデリックはある日、ロザネットのアパルトマンの階段でアルヌーとはちわせる。
ある日、フレデリックが新聞を目にしていると、負傷者リストの中にでリュサルディエの名前を見つけた。フレデリックはロザネットが阻止するのを振り払って再び街へ飛び出す。
それから数日後、ダンブルーズ氏の家でフレデリックはロックのおやじやルイーズ、アルヌー夫妻と再会する。シジーとマルチノンはそれぞれ、ダンブルーズ夫妻の姪セシル嬢の心をつかむために知恵を絞っていた。セシルはマルチノンに好意を持つ。
フレデリックはロザネットとの関係を周囲からほのめかされ、アルヌー夫人やルイーズの前で気まずい思いをする。フレデリックからそっけない態度を取られたルイーズは、その日の夜中、フレデリックの家へ押しかけるが、フレデリックはロザネットの家にいて不在であった。
・ダンブルーズ夫人を愛人にすることに成功する
フレデリックは久々にアルヌーの家を訪ね、アルヌー夫人にロザネットが自分の愛人であることを打ち明ける。それでもアルヌー夫人を愛していることを伝え、ふたりは長い口づけを交わした。その様子をロザネットがかたわらで目撃していた。以来、フレデリックはロザネットを疎ましく感じるようになる。そしてダンブルーズ夫人が気になるようになった。その頃、ロザネットは妊娠していた。
フレデリックはもっと楽しく、もっと気高い生活を夢見ていた。彼はダンブルーズ夫人を愛人にしようと試み、あれこれと画策する。なんとしてでもこの高貴で裕福で敬虔な女性を手に入れたいと思った。
1850年5月、マルチノンはセシル嬢と結婚する。ダンブルーズ夫人の心をつかんだフレデリックは、ようやく上流社会に足を踏み入れることができたと感じ、胸は誇りに満ちあふれていた。フレデリックとダンブルーズ夫人の関係はまもなく公認のものとなり、大目に見られるようになった。しかし時が経つにつれて次第にフレデリックのダンブルーズ夫人への情熱は衰退していった。
・ダンブルーズ氏が亡くなる
1851年1月、ジャンガルニエ将軍が解任されたことでダンブルーズ氏はいたく動揺し、病に倒れる。そして2月12日に亡くなった。ダンブルーズ氏が亡くなったことでダンブルーズ夫人は愛人のフレデリックに求婚し、フレデリックは「もちろん」と快諾する。
しかしダンブルーズ氏の葬儀後、夫は全財産をセシルに遺贈していたことが発覚し、ダンブルーズ夫人は無一文同然になり、破産していた。フレデリックはダンブルーズ夫人に、それでも命あるかぎり愛していると伝える。
・ロザネットとの息子が生まれるものの、間も無く病死する
フレデリックは家に戻るとロザネットの出産が迫っているとの知らせを受ける。産院へ行くと安産で男の子が産まれていた。以来、フレデリックはダンブルーズ夫人とロザネットのもとで過ごす二重生活を送るようになった。
秋もなかばにさしかかったころ、金の工面に苦労していたロザネットは陶土会社の株をめぐる訴訟に勝ったものの、息子が病死してしまう。フレデリックはペルランに死んだ息子の肖像画を描いてもらうことにした。ペルランからフレデリックは、アルヌーがルジャンバールの親友ミニョーに告訴され、一万二千フランを工面できなければ逮捕されてしまうことを聞かされる。フレデリックは部屋を飛び出し、ダンブルーズ夫人に一万二千フランを借りる。
アルヌー夫人の持ち物は競売にかけられた1851年12月1日、ダンブルーズ夫人と競売場に足を踏み入れたフレデリックはロザネットと鉢合わせする。ダンブルーズ夫人は、アルヌー夫人とフレデリックの思い出がつまった小箱を競り落とした。
さまざまな出来事が重なってパリが嫌になったフレデリックは始発列車で故郷のノジャンへ発つ。彼は久々にかつての婚約者ルイーズに会いたくなっていた。ノジャンでフレデリックは旧友デローリエとルイーズの結婚式を目撃し、敗北感に打ちひしがれて、パリに戻った。デローリエは知事の着る服を着ていた。
・アルヌー夫人との再会
それから十年以上の月日が流れた。フレデリックは旅に出て、その後、ふたたび社交界に出入りし、あらたな恋愛も経験した。しかしアルヌー夫人のことが忘れられず、どの恋もあじけないものに思えてしまった。
フレデリックが夕暮れ時にひとり書斎にいると、ひとりの女性が入ってきた。それはアルヌー夫人であった。ふたりは過去の思い出を語り合い、夫人はフレデリックに最後の挨拶と感謝を伝えて、長い白髪のひとふさを根もとから切り取り、フレデリックに渡して別れを告げて部屋から出ていった。
フレデリックとデローリエは和解した。ダンブルーズ夫人はイギリス人と再婚した。デローリエはルイーズと結婚したものの、ルイーズはある日突然、歌手と駆け落ちする。その恥をいくらかでも注ぐつもりで仕事に励みすぎたあげく、かえって知事の地位があやうくなって解任された。現在は工業会社の訴訟係として雇われてる。フレデリックは財産の三分の一を食いつぶし、つつましく暮らしている。
フローベール「感情教育」の歴史的背景となった出来事
七月革命(1830年7月27日〜29日)
フランス復古王政のシャルル10世の反動政策に対し、ブルジョワ共和派を支持するパリ市民が蜂起して、絶対主義体制を倒し、七月王政を出現させた「栄光の3日間」と呼ばれる革命。この七月革命はヨーロッパ各国の革命運動に影響を与えた。結果、1814年のウィーン会議で認められたヨーロッパにおける国際秩序ウィーン体制の崩壊へとつながった。
二月革命(1848年)
フランスの七月王政によって普通選挙を求める運動が弾圧されたことで、再びパリの市民が蜂起し、国王を退位させて王政を終わらせ、第二共和政を宣言した革命。第二共和政の臨時政府には初めて労働者の社会主義者も参加したが、内部対立によって労働者の要求は鎮圧され、臨時政府は保守化した。その年末の大統領選挙でルイ・ナポレオンが当選し、共和政は後退する。二月革命もヨーロッパ各地での革命や自由主義運動を引き起こし、ウイーン体制を崩壊させた。
ルイ・ナポレオンによるクーデター(1851年12月2日)
1848年12月の当選から3年間フランス共和国大統領を務めたルイ・ナポレオン・ボナパルトが、第二共和国憲法で再選が禁じられていたにも関わらず、任期終了の数ヶ月前に権力維持を図った。1852年の年末に再び国民投票を行い、クーデターのちょうど1年後にあたる1852年12月2日にナポレオン三世として即位し、第二帝政を開始した。
フランス革命以降の関連年表
1789年 | 7月14日:バスティーユ攻略(フランス革命) |
1792年 | 9月:国民公会召集(第一共和制) |
1793年 | 1月:国王ルイ16世の処刑 6月:モンターニュ派による独裁(恐怖政治)開始 |
1795年 | 10月:国民公会解散、総裁政府成立 |
1799年 | 11月:ナポレオン・ボナパルトによるクーデター 12月:ナポレオン、第一統領に就任 |
1804年 | 5月:ナポレオン、皇帝に即位(第一帝政) |
1813年 | 10月:ライプツィヒの戦い。ナポレオン軍、プロセイン・オーストリア・ロシアの連合軍に敗退 |
1814年 | 5月:ルイ18世即位(第一王政復古) 9月:ウィーン会議開催 |
1815年 | 6月:ワーテルローの戦い。ナポレオン退位(第二王政復古) |
1824年 | 6月:ルイ18世没、シャルル10世即位 |
1830年 | 7月:七月革命 8月:ルイ・フィリップ即位(七月王政) |
1832年 | 6月:ラマルク将軍の葬儀、パリで共和派蜂起 |
1834年 | 4月:トランスナン街の虐殺 |
1836年 | 2月:ティエール内閣成立 |
1840年 | 3月:第二次ティエール内閣成立 10月:第三次スールト内閣成立、外相にギゾー |
1841年 | 2月:ティエールのパリ城塞化法案採択 |
1845年 | 4月:ヴィクトール・ユゴー、貴族院議員となる |
1847年 | 7月:改革宴会始まる |
1848年 | 2月:二月革命勃発(第二共和政) 6月:六月蜂起 11月:第二共和政憲法成立 12月:ルイ・ナポレオン、大統領選挙で圧勝 |
1849年 | 5月:立法議会選挙実施(秩序党)の圧勝 |
1850年 | 3月:ファルー法成立 5月:選挙資格制限法制定 |
1851年 | 1月:シャンガルニエ将軍解任 11月:ルイ・ナポレオンによるクーデター。立法議会解散と普通選挙復古を宣言 |
1852年 | 12月:ルイ・ナポレオン、ナポレオン三世として皇帝に即位(第二帝政) |
1853年 | 7月:セーヌ県知事オスマン、パリ改造に着手 |
1855年 | 5月:第一回パリ万国博覧会開催 |
1860年 | 1月:英仏通商条約・パリ全二十区に拡大 |
1862年 | 4月:フランス、メキシコに宣戦布告 |
1867年 | 2月:メキシコから徴兵 4月:第二パリ万国博覧会開催 |
1870年 | 7月:フランス、プロセインに宣戦布告(普仏戦争) 9月:ナポレオン三世、スダンで降伏。共和政宣言(第二帝政崩壊) |
1871年 | 3月:パリ・コミューン宣言 8月:ティエール、大統領に就任(第三共和政) |
フローベール「感情教育」の感想と解説
刊行当時は批評家から不評を買ったとされるこの「感情教育」。しかし歴史的事件が生々しく描写されていることからも、個人的にはベストセラーとなった「ボヴァリー夫人」よりも読み応えがあって内容が奥深く、面白いと感じました。
田舎からパリに出てきて社交界の上流階級に取り入る野心を抱く青年フレデリックは、バルザックの作品に出てくる主人公のラスティニャックを彷彿とさせます。フローベルがバルザックから多大な影響を受けていることがよく分かります。
しかしながら、もともとは純朴な田舎の青年であったフレデリックが、ニートのような生活を送っているにもかかわらず、親族の莫大な遺産を手にした途端に優柔不断で煮えきらない女たらしになり、その自分に酔っている様子は、人によってはイライラするかもしれません。
実際に本作品の翻訳者による解説を読んでみると、男子学生と女子学生で大きく評価が分かれたそうです。
男性が読むと共感や同情を覚える点が多いと思いますが、女性が読むと、要所要所で不快感を抱くかもしれません。フレデリックがもともと策略家ではなく純朴な青年だからこそ、その彼に翻弄される上流階級の女性たちが不憫に感じてしまうと思います。
とはいえ、ひとりの青年が悪戦苦闘しながらも社交界をわたり歩いて一人の女性との恋を実らせていく過程での繊細な心理描写は、本作品の見どころのひとつです。
フランスの、特に写実主義と自然主義文学に共通して言えるのは、登場人物の心理描写が巧みで、フランス人ならではのシニカルな視点が含まれているところです。このシニカルさがフランス文学の醍醐味だと個人的に感じています。
激動の時代をむかえた19世紀のパリをリアルに体感したいなら、まるでタイムスリップしたような臨場感をあじわえるこの「感情教育」がおすすめです。
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